吉田俊太郎と申します。生年月日は昭和60年生まれ、出身は山形県です。
私は理学療法士として病院や訪問で働きながら解剖学の博士課程に進みました。
大学院を卒業した現在は理学療法士を養成する専門学校での教育、臨床、オンラインサロンの運営、セミナー講師、研究 等をしています。
私が上記のような活動をすることになった、これまでの過程を書かせていただきたいと思います。
理学療法士という仕事を知ったきっかけ
理学療法士になりたいと思ったきっかけですが、地元の山形県の高校を卒業したあと、元々は幼稚園の先生になりたいと思っていました。しかし、高校三年生の進路選択の真最中に、祖母が脳梗塞で入院することになりました。
高校三年生ということで、部活も終わっていたので、学校が終わると毎日のように祖母の病院にお見舞いに行っていました。お見舞いに行くと、理学療法士の先生が病室に来てくれて、ベットサイドのリハビリや、時にはリハビリ室にお邪魔してリハビリを見学させてもらうようになりました。
そうこうしている内に理学療法士の先生とも仲良くなり、リハビリを手伝わせていただくこともありました(もちろん祖母のリハビリのみです)。
そして、祖母がまったく歩けなかった状態から、少しずつ歩けるようになり、杖を使えば自立して歩けるようになった姿を見て感動しました。
このような背景から、高校の先生に幼稚園の先生の夢から理学療法士の夢に変更したいことを伝え、地元のリハビリ養成校の理学療法学科に進学しました。
養成校時代から初めて働いてみて感じたこと
リハビリの養成校時代の4年間はしっかり勉強をし、勉強した内容を祖母に実践したりしていました。
学生時代は祖母の脳梗塞に一番興味があったので、脳の勉強を一番に頑張りました。
その後、卒業後は脳梗塞の患者さんを担当できる病院に就職したいと思い、地元山形の総合病院に入職しました。
そこで希望していた脳梗塞の患者さんを担当させていただき、目標にしてきたことが達成できたことで、とても満足していました。
しかし、総合病院ということもあり、脳梗塞以外の患者さんも担当させていただいており、その中で整形外科の術後の方やスポーツリハビリにも力をいれている病院でしたので、運動器のリハビリの勉強もするようになりました。
そこで運動器疾患の患者さんからは「◯◯が痛くて◯◯ができなくなり困っています」という訴えが沢山ありました。
ただ、「◯◯が痛いです」と患者さんがすがる思いで訴えられても、どの部位が痛みの原因となっているのかが分からず、患者さんにしっかりお伝えできず、そのような状態ですので、もちろん良い結果もなかなか出せず本当に毎日の臨床が辛い時期がありました。
まずは、患者さんの訴えられている部位がどこの筋や骨、神経なのか分からなければ評価もアプローチもできないことを痛いほど経験し、体表解剖学の研修会に通うようになりました。
それがきっかけで解剖学の世界に引っ張られるかのようにドンドンのめり込んでいきました。
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大学院時代の思い出
その結果、解剖学をしっかり学び直したいという気持ちになり、筋骨格系の解剖学が学べる大学院を探していたところ、東京にある順天堂大学大学院様と巡り会い、山形の地を離れ、臨床4年目からは東京の病院で臨床をしながら、仕事後や休日に大学院に足を運び、ご献体にて骨、関節、筋などを観察させていただき、さらに研究もさせていただくようになりました。
大学院では普通ならお会いすることもできないような坂井建雄教授という素晴らしい恩師に一から解剖学を学び直しました。
私のような出来の悪い生徒にも教授は手厚くご指導して下さり、お陰で博士課程まで修了することができました。
臨床に出てから14年(2021年現在)という長い年月がかかりましたが、現在はようやく体表から人の体が透けて見えるようになりました。
私のように、働きはじめて臨床で沢山悩んでいる方がいらっしゃると思います。
私自身の目標であり、かつ私が運営しているオンラインサロン内での目標でもありますが、『自信と根拠をもって臨床に取り組みたい』ことを掲げています。
臨床で自信と根拠を持てるような発信を、ブログでも心がけていきたいと思います。